手稲山に護られて
酵素やヨガとは離れたお話。
2月中旬、爆弾低気圧が北日本に居座って特に日本海側は大荒れの予報。10年に一度の吹雪、ホワイトアウトに注意と警戒されていました。ところが札幌市内は静かなもの。気温が下がり雪は降りましたが雪かきに汗を流すほどでもありませんでした。
天気が荒れるときは強い西風が吹きますが、札幌の西側には手稲山という山があって風がさえぎられるのです。年間降雪量は多い年には5メートルを超えるという豪雪地帯ではありますが、都市機能がマヒするような降り方は稀で、札幌の通勤圏内でもちょっと北にある近隣の町は大雪でも札幌市内は晴れているということさえあります。
テイネ・イ
手稲山は標高1,023m(Wikipedeiaによる。僕が子供の頃は1,024mと言われていた気がする…)。札幌にある山では一番高く、頂上にたくさんの電波アンテナがあります。1972年の札幌オリンピックではアルペンやボブスレー、リュージュの会場となって聖火台も設置された。
札幌市民なら知らない人はいないという山です。
「手稲」の由来は、アイヌ語で「濡れている処」を意味するテイネ・イだそうです。手稲山からたくさんの川が流れて麓の平野部を潤していたからということらしい。
僕は小学一年生の時から手稲山がある西区に住み、地元の学校に通っていたので、特に色んな思い出のある山でもあります。
スキー授業やスキー遠足でも行きますし、中学生になると一人でスキーに行くようにもなる。おにぎりをもってスキーを抱えてバスに乗り、オリンピックで出来たロープウェイを一日券でひたすら最後まで滑って、帰りは旧道をスキーで滑って麓まで降りてきたりね。
通った小学校・中学校の校歌にも、有名な北大寮歌『都ぞ弥生』にも謳われています。
変わるもの、変わらないもの
北緯43度の豪雪地域に200万人が暮らす世界でも珍しい都市、札幌。
もちろん地形だけで、冬の天気が穏やかなだけで大都市になるわけではなく、様々な要素が掛け合わさって今があるのだと思いますが、もし手稲山がなかったらどうだったのだろうか。
元々、文明が川の流域に発達したように自然環境は私たちの暮らしや経済に大きな影響を与えてきたことは疑う余地はないと思うのです。
一方で、集約することが成長に繋がった高度成長期から、一人一人がネットで繋がる時代。コロナ禍で密を避ける必要性…技術革新や価値観の変容が起こっているなかで札幌はこれからどうなっていくのだろうか。僕たちはどんな世の中を目指していくのだろうか。
徐々に強くなる陽射しに春が近いことを感じながら、そんなことを考えています。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。