苦ってなに?|幸せは相対的なもの

 

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4月15日(日曜日)、アルボムッレ・スマナサーラ長老の講演会・ヴィパッサナー冥想体験会(主催:札幌ダンマサークル 運営協力:ヨガライフスクールインサッポロ)が、札幌のかでる2・7で行われました。

2009年にヨガライフスクールで初めて北海道にお招きしてから、昨年はスケジュールが合わず開催されなかったのですが、それまで毎年、札幌にお越しいただいています。9回目となる今年からこの冥想会をきっかけにできた札幌ダンマサークルさんが主催となっています。
※札幌ダンマサークルさんのブログ⇒ http://blog.livedoor.jp/subha/

9:30~12:00頃まで、石飛道子先生がご質問をする形で講演会。午後は13:00~18:30まで、初心者向けの冥想体験会という構成でした。

講演テーマは『心のことは何も知らない~苦(ドゥッカ)ってなに?』

スマナサーラ長老と石飛道子先生

スマナサーラ長老と石飛道子先生

ゆく河の流れは絶えずして・・・

スマナサーラ長老のお話は、笑いあり、かなり辛辣な言葉もあったり・・普通に日本で聴く仏教の法話というイメージではありません。所謂、宗教的なものでは全くない。むしろ、スマナサーラ長老は既存の宗教を、ある意味、全否定していますからね。

スマナサーラ長老が説く真理(=ブッダが発見した真理ということだと思います)は、科学的というか、素粒子物理学のようなイメージ。物理学者と対談したら面白いのではないかと思います。分子生物学者でも良いと思う。あくまで僕の印象ですけど・・。

すべては川の流れのようなものという世界観。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。すべての存在が無常であって、「私」というものも本来はないのだという。分子生物学者、福岡伸一先生の「動的平衡」にも通じますよね。

全て一切は無常なので、生きることは苦。逆にいうと苦があるから生きている。感じること、変化することが生きているということ。苦があるから変化する。その一瞬は明るく楽しいものだという。(ボクの理解なので、正しくは違うかも。詳しく学びたい方はダンマサークルさんへご相談・笑)

スマナサーラ長老

スマナサーラ長老

絶対的な幸せはない

例えばお腹が空いている人にとっては、ご飯を食べたら幸せになる訳ですよね?その瞬間は。でもご飯を食べることは常に幸せとは限らない。延々と食べ続けなくてはいけないとすれば苦痛でしかない。

寒いと感じている人のそばに暖房がついたら幸せです。でも暑がっている人のそばに暖房をつけたら幸せどころか拷問といえるかも知れない。絶対的は幸せなどない。幸せは相対的なものなのです。

生きていることが苦だとしたら、そこから変化した瞬間は幸せのはず。苦から転じるのだから。生きるということはその連続だから、本来、今という一瞬は常に幸せなのかも知れません。

なぜ、満ち足りないのか。それは希望を持つからだそうです。あてのない希望を持たないように、今この瞬間を客観的に実況中継する。それがヴィパッサナー冥想ということらしい。

一般に冥想というと静かに目をつむって・・・というイメージかも知れませんが、スマナサーラ長老が指導するヴィパッサナー冥想は、歩く、座る、立つ、食べるといったことを真剣に自分のなかで実況中継することで実践できるもの。
※詳しく学びたい方は、日本テーラワーダ仏教協会さん ⇒ http://www.j-theravada.net/ か、札幌でしたら札幌ダンマサークルさんへ

真理はシンプル。その積み重ねが日常。日常でもシンプルなことをしっかりやりきって積み重ねるとよいみたいです。

 この記事の投稿者

福士宗光

父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。

健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。

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