健康は目的ではない?
健康のためなら死んでもいい、って、、、。
私の会社は、お客様の「健康生活のお手伝い」を目的理念としています。お客様の健康生活のお手伝いをすることが当社のミッション。
では、当社がミッションとしているお客様の健康生活、それはお客様にとって、どんなものなのか。
「健康のためなら死んでもいい」という、健康ブームを皮肉るコピーもありましたけど、少なくとも人生の目的が健康、という人は多くはないと思います。
目的なのか、手段なのか、といえば、一般的には、目的ではなくて、手段。
要素のひとつ、というか・・・。
病気を持っていても仕合わせと感じている人がいます。
一方で、健康で、どこも具合の悪いところがなくても不仕合せと思っている人もいる。
また、健康で普通に暮らせればそれで最高に仕合わせ、と考える人もいます。
健康であった方がより良いとは思います。
しかし、健康の定義自体、人それぞれです。(参考: 『丸投げしてはいけない』 )
真の健康とは
当社の目的理念のフルバージョンは、
「真の健康は、正しい食、適宜の運動、そして明るい心によって自分自身で築き上げるもの。そのお手伝いをすることが私たちの使命です」
となります。
「健康」ではなく「真の健康」、「正しい食事」ではなく「正しい食」、「適度の運動」ではなく「適宜の運動」。
「食」には「食事」より広い意味がこめられています。食べる物はもちろんですが、食べ方、食べるという行為の意味、あるいは食文化についても考えることになります。
「適宜」には、運動の程度だけではなく、タイミングも含まれます。休んだ方が良い時もありますよね。
そしてそれらは「心」と影響しあっている。食・心・動は、三位一体と考えます。
周囲の環境と接しながら、自身のバランスを取っていく。そう考えると、「真の健康」は、深い。
健康の定義が、心や精神的な範疇を含むと考えると、人生の目的にも重なり合う部分がでてくるような気がします。
現在、当社は、外からヨガ、中から酵素で健康生活をお手伝いする事業をしていますが、もう少し広がりがあっても良いのかも知れません。
でも、簡単に新しいものには飛びつきません。
健康は、本来、流行り廃りではない、不易なものと考えるからです。
そもそもブームとは馴染みません。
変化に適応したものが生き残るが・・
「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」ダーウィンの言葉とされていますね。
生物の種としての環境適応は、世代交代を繰り返す中でしか起こり得ません。当然、長い年月の中の変化。
私たちは、有史以来、長い年月をかけて、環境に適応しながら今に至っている。
その中で産業革命以降の環境変化は、極めて短期間の、極めて大きなものと言えると思います。
現代病と呼ばれる疾病の多くが、この激変への不適応の結果かも知れません。
健康は目的ではなく、手段。
でも、健康の定義を広くとらえたとき、また、考える時間軸を長く取ればとるほど、人生の目的とも重なり合う部分がでてくるような気がします。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。