コロナ禍での変化は仕分けてみる

 

 その他

昨日、宅配便を受け取った際にクロネコさんがそのまま帰ろうとするので「サインはいいですか?」と、つい言ったら、「コロナなんでOKです」と。もう当たり前になっているんでしょうね?

ニューノーマル

マスクの着用も、一年前は失礼をお許しください、みたいな感じでした(覚えてます?)。それが今やマスクをしていないと睨まれることすらあります。
オンラインでの会議や商談も、インフラとしては既にあったものの、一部の方だけが使っていたものが一気に当たり前になりました。コロナ前は新規先にはまず面談というのがかつてのビジネスマナーだったと思いますし、訪問頻度とか、夜討ち朝駆けとか、実際に足を運ぶことで関係性が深まるということも多かったように思います。それが今は逆に訪問して良いか、許しをいただかなくてはいけないムードすらありますよね。

結果として、マスクによってインフルエンザの罹患率が劇的に下がったり、時間や交通費をかけてわざわざ出向かなくても良いのは便利だったり、悪い面ばかりではないので、コロナ禍が収束したとしてもあらたな習慣、ニューノーマルとして残るのかも知れません。

一方、冒頭の受領印やサインは、マナーや習慣の変化とは少し意味が違う気がしますが、アフターコロナにはどうなるのでしょうか?

河野大臣の一声でお役所のハンコがほとんどなくなったという話は、DX(デジタルトランスフォーメンション)の推進が目的ということなので、アフターコロナでも戻らないと思われますが、これもコロナ禍がきっかけとなったのは間違いないでしょう。こちらの話は「え?要らないの?んじゃ、今までは何だったの?」と思いますよね?苦笑

個人的には、はんこ押すのは嫌いじゃないです(笑)

個人的には、はんこ押すのは嫌いじゃないです(笑)

僕は元銀行員なので署名や押印については随分馴染みがあります。銀行の場合、身分証明書を添えて届け出た印鑑と署名や印影を照合することで本人確認する意味があります。融資取引や小切手・手形の絡む当座勘定取引では印鑑証明書で確認できる実印が最初に必要となったり。受け渡しの確認などには一定の意味はあるのではないかと思います。

社内資料など、後々、書類を見たか、見ていないかにの記録になる稟議書への押印も意味はありますが、これは書類そのものからデジタル化した方が良いでしょう。

なんでも無くせば良い訳でもなく本質的な意味があれば残せばよい。
僕の仕事の上ではオンラインヨガはアフターコロナでどうなるか。一定の割合で残ると思います。さらに技術が進んで3DとかVR(バーチャルリアリティ)とか、AR(Augmented Reality 拡張現実)とか、色々なことが出て来そうです。

とはいえ、その時にオフライン(リアル)の価値は逆に高まっているかも知れない。やはりオンラインとオフラインのハイブリッドが当面の姿だと思います。

コロナ禍収束後も残ることか、消えてしまうことか、仕分けながら対応していかなくてはなりません。さらには今後はまた何が起こるか分からない、多様化、全天候型の経営を心掛けようと思っています。

蛇足ですが「コロナ禍」とはそもそも何なのか?疾病そのものと社会現象のようなものが綯い交ぜになってる。これもキチンと仕分けして考えたい。もう一年経つのですから…。

 この記事の投稿者

福士宗光

父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。

健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。

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