メインバンク|取引はこうして始まった
手形の買戻し
創業したばかりの頃のこと。
最近は手形取引は少なくなりましたが、かつては支払いに手形を使うというのはよくあることでした。
例えば支払期日を3ヶ月後の手形にすると、支払う側は3ヶ月の猶予があって、受け取る側も何もなく待つよりも手形という一種の約定がある。お互いに一定のメリットはある訳です。
創業したての頃、b2bのお仕事では手形で受け取ることが多かったようです。そしてお金がないから支払期日まで待たず、手形を担保に銀行でお金を借りる「手形割引」ということをしていました。もちろん金利はかかるけど資金をすぐに手にすることができる。手形の支払期日に支払相手の資金で自動的に銀行の借入を返済する仕組みです。
多分、工場を建てた直後のことだった。割引をした手形が相手方の資金不足で不渡りになった。相手の責任だけど、割引(銀行からの借入)は当社の責任なので返済(手形の買戻し)をしなくてはならない。当時の当社に、その手形を買い戻す資金はありませんでした。
事実上の倒産の危機。
弊社の設立は昭和53年ですが、ちょうど同じ頃、信用金庫さんが新しい支店を開店していました。その支店の担当者の方が、新しい取引先を探して、ちょうど割引手形が不渡りになった日に弊社に飛び込み訪問したのです。
父は事情を説明して支店長さんに合わせて欲しいと頼んだ。
元銀行員として言わせてもらえば、まだ預金取引もない会社にいきなり融資をするというのはかなりハードルが高い。しかもこれは当日お金が必要、それがないと倒産するという、いわば無理筋の話。本来はメインバンクの仕事です。ただ創業直後、メインバンクといえるような関係性の金融機関はなかったようです。
メインバンク
父は信用金庫さんの担当者の方に押し込んで、支店に行き、支店長に直談判。窮状と弊社事業の必要性を訴えた。結果として当日融資が実行されたのです。金額が大きなものではなく、支店権限の範囲内ということもラッキーだったとはいえ驚きです。
この融資がなければ、今、当社はありません。
僕が札幌に帰ってきてから、つまりこの件から10年以上経ってから、当時の支店長さんから電話がありました。本部でデータを見ていたら、会社の名前があった。まだ仕事が続いているんだと感慨深く電話をしてみたという。支店長さんにとっても記憶に残る融資だったのですね。
父はその御恩を大切にしていて「先方から断られない限りメインバンクは変えないで欲しい」と僕は父から伝えられていました。
この信用金庫さんは当時の札幌信用金庫。今年の1月に北海信金さん、小樽信金さんと合併した北海道信用金庫です。先日の弊社40年の記念日に会長・理事長連名でお花をいただきました。
ありがとうございます。事業の永続的な発展させて御恩返しをしたいと思います。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。