仏教と医師の対話|生老病死、がんと死をめぐって
4月14日土曜日。アルボムッレ・スマナサーラ長老が来札されたタイミングで、統合医療を実践されている小井戸一光先生との対談が行われました。
※スマナサーラ長老については ⇒ 日本テーラワーダ仏教教会のHP
小井戸先生については ⇒ 癒しの森内科・消化器内科クリニックのHP
心とはなにか、人は死んだらどうなるのか、病気を仏教はどう捉える?等々、小井戸先生が長老に問いかけるもの。
実は今回が初めてではなくて、数年にわたり何度か対談、またインド哲学の石飛先生を交えた鼎談を重ねてきました。取りまとめたものがいずれ本として出版されることになると思います。楽しみにしていてくださいね。
統合医療は全体をみる
もともと西洋医学一辺倒だった小井戸先生が統合医療に取り組み始めたのは担当されていたすい臓がんの患者の方に「臓器しかみていない」と言われたことがきっかけ。その後、ご自身の奥様ががんに罹患された際、患者側の立場にもなって、今までの医療に限界を感じられたそうです。
西洋医学が高度化・専門化すればするほど、患者さんの心から離れていくのではないか。心も含めて患者さんの全体をみる統合医療が、特にがん治療においては必要なのではないか。そんなことを感じておられたように思います。
がんの三大治療法である、手術、放射線、抗がん剤、それが効かないとなると、今の医療では方法がない。患者さんのQOLを考えるとき、次の選択は終末医療ということになります。
2009年からヨガスクールでスマナサーラ長老を北海道にお招きしていることをお伝えすると、小井戸先生が統合医療に取り組む中でスマナサーラ長老の書籍をお読みであることが分かり、対談企画につながりました。
統合医療は心と身体の全体としてみる。心の在り方が病気の原因になっているという考え方について、今までの対談、鼎談でも意見が交換されてきました。
今、この瞬間を生きる
今回の対談で、小井戸先生は、あえて考え方の違いが浮き上がるような問いかけをなさっていたようにも思えました。小井戸先生は心と身体は不可分と診療の現場で感じながら、今の医療の立場から長老に問いかけていらっしゃいました。長老は身体は心の入れ物に過ぎず、無我や無常という真理を伝える立場から、生きていることが既に病気のようなもの、死を恐れることはないという。
対談を聞いていた70名程の方のなかにはがんの患者さんも少なくない。前向きに受け取れるものがあったのではないでしょうか。
今の日本では多くの方が病院で亡くなる。直接、死に接する場面が少なくなって、死と向き合うことを避ける傾向にあるのかも知れません。
誰でも必ず死を迎えます。しかもそれがいつかは誰にも分からない。そのことをしっかり覚悟して、今、この瞬間をを生きる。この瞬間に幸せを感じる。そんな生き方は病気の有無にかかわりなく大切なことに感じたし、結果として、病気を遠ざけることになるのかも知れません。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。