五月人形の思い出
今年は久しぶりに5月人形を飾りました。
猫を飼いだしてから雛人形や五月人形はなかなか出せなくなったのだが、昨年、階下に暮らしていた母が亡くなり、父も施設に入ることになりスペースができたこともある。
雛人形は早くから、僕が物心ついた頃には姉のために飾られていたけれど、
五月人形は我が家にはなかった。
ある日「それは不公平ではないか」と親に言った。僕は小学生だったと思う。
すると驚くほど早く父が買いにいくというので、一緒にデパートに行くことになった。言ってはみたがすぐに買ってもらえるとは思っていなかったし実はそんなに欲しかった訳でもなかった気もする。
売り場にいくと、父がなんとなくこの辺り…という感じで場所を定める。
もとよりどんな人形が欲しいということでもなく、不公平だと言ってみたかっただけだなので、
目の前にあった兜と武具がシンプルに並んだものに僕はすぐに納得したし、なにより刀が鞘から抜けたり、兜のサイズが低学年の僕にはかぶれそうな感じが嬉しかった。
父が「これを」と店員さんに告げると「これは展示品しかなく、少し傷もあるのですが…」とちょっと困ったような顔で言った。父が小さな声で「少し引いてくれたらいい」と言った。いつも人に奢ったりすることの多い父のイメージと違って驚いたのも覚えている。
なぜこんなやり取りを鮮明に覚えているのだろう。
大人になって振り返ってみると、ちょうど父は役員をしていた会社をやめ独立、あるいはその直前の全く収入もなかった頃だったのだ。
勤めていた会社は中小企業だが急成長し、父も副社長としてその成長の一翼を担っていたから、我が家も裕福だったような気がする。
急に状況が変わったなかで、幼くて事情が分からないながら子供心に何かを感じていた僕は、それでも親の反応が変わらないか、試したのかも知れない。
余裕がないだけに子供を不憫に思って、すぐに買いにつれて行ってくれたのかも知れない。
五月人形を飾るといつもそんなことを思いだして切なくなるのです。
そのとき起こした会社がまだ存続し僕が引き継いでいる。そのことは誇りに思っていよう。
五月人形の思い出とともに忘れずにいよう。

しばらくぶりに飾ると時間がかかるよね。
雛人形と違っていつまでに片づけるとかなさそうなので5月いっぱい飾りました。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。