ヨガは頑張ってはいけない
だんだん身体が欲するようになってきた・・
ヨガのレッスンを受けるようになったのは3年程前。
なかなか頻度が増えなかったのですが、最近は、夜、会合のない日は極力受けるようにしています。
階段を自然に駆け上がるようになったり、肩こりがなくなったり、と色々良いことがある。
それに、まだまだちゃんとは出来ないのですが、僕なりに気持ち良いのです。
そんな中、今週の火曜日の朝、突然、腰痛。しばらく忘れていた、あれっ?という感覚。
僕の腰痛は結構年季が入っていて、初発は中学生の頃。多分、陸上競技の中で痛めている。大学のラグビーの筋トレで克服したと思ったけど、ラグビーを離れてから、時々、疲れ、睡眠不足、飲みすぎ、まぁ要因は色々ですが、周期的に起こっていました。
ヨガを始めてからは良くなっていて喜んでいたのだけれど。
木曜日。仕事が落ち着いて、会合もない。都合としてはヨガレッスンを受けられる。でも、前屈みになれなくて顔を洗ったり、靴下を履くのにも苦労している状況。どうしよう?
担当の須合先生に聞いてみた。「腰、痛いんだけど、レッスンやめといた方がいいかな?」
ニコっと笑って「どっちでもいいですよ(笑)」だって。
そりゃ、そうだ。痛みは本人しか分からない。そしてヨガは自分の意志でするもの。うーん。
悩んだ末に「変な格好していても無視してね」って須合先生にお願いして、レッスンを受けることにした。
座って準備運動をしている間に既にやや後悔。座ってるだけで痛い。
痛くないポジションを探しながら、ふと気づいた。正しい姿勢っぽいときは痛くないわ。その後、骨盤の向きや肚に意識を向けながら、慎重に痛くないところで止めつつレッスンを終えた。
楽になってる。レッスン前と全然違う。やって良かったー。
そういえばインストラクターコースの解剖学で、整形外科の金子先生も、動けるときは痛くない範囲で動かした方が良い場合が多いっておっしゃってたなー。
頑張るのは自分に対する暴力
3年前に最初に受けたヨガスクール創業者 上山先生のレッスンを思い出した。何もできない僕がただ一つ厳しく言われたのは「頑張っちゃダメ」ということ。
「特に男性は、出来ないのに無理して力でやろうとする。そういうことをすると身体を壊すんです。」
B・K・S・アイアンガー先生の『ヨーガの樹』に次のような一節があります。
例えば、アーサナを行うとき、右側をより伸ばし、左側をあまり伸ばさないとすると、あなたの体内に、非倫理的な状態が起こる。あなたがより伸ばしている右側には暴力性があるが、伸展があまりない左側は非暴力的に見える。あなたが暴力的になっている右側では、自らに言う。「できる限りやって、限界まで伸ばせ!」。あなたはオーバーストレッチしているので、意図的暴力性がある。あまり伸ばしていない左側では、おそらく、あなたは暴力的ではないと思うだろうが、賢明なヨーガ実修者なら、片側では意識的に暴力を行っているので、同時に反対側でも無意識的に暴力を行っていることを観察する。
『ヨーガの樹 意識・心・身体を統合し魂を解放する科学』B・K・S・アイアンガー、訳・吉田つとむ、サンスクリット語監修・石飛道子、サンガ出版
訳者の吉田つとむ先生はヨガライフスクールのインストラクターを指導。サンスクリット語監修の石飛道子先生もインストラクタークラスでインド哲学の講義をしてくださっています。
『ヨーガの樹』はヨガの八支則を樹木に喩えています。第一段階の「ヤマ」は「根」に喩えられる倫理的な基礎となるもの。その中にアヒンサー(非暴力)というのがあるのです。
身体が欲しているといっても、基礎がしっかりしていなければ、それは意図的な暴力性かも知れない。
上山先生の最初のレッスンで教えてもらったこと、今回、少し分かった気がします(分かるのと出来るのは違うけどね)。
今まで出来てないのに無理してやっていたかもな。昨日は痛くて頑張らないところで止めるしかなかった。まさに怪我の功名です。(笑)
『ヨーガの樹』を読んでみたい方は、ご一報いただければ送料無料でお送りします。
もちろん書店でもアマゾンでも売っています。でも、僕やヨガスクールから買うものは少し違っています。ちょっとここでは言えないんだけど・・。(笑)
(2021年7月追記)『ヨーガの樹』は、出版社の経営破綻により中古市場で値上がりしています。
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この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。