酵素とヨガ は必然だった?
中から酵素、外からヨガ
真の健康は、正しい食と適宜の運動、そして明るい心で自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガはお客様の健康生活のお手伝いをするためのものです。
なぜ酵素とヨガなのか。
創業者である父は、ヨガスクールとの提携が始まる前から「食・心・動」は三位一体だと言っていました。
中から酵素、外からヨガでお客様の健康生活のお手伝いをするという仕事は、弊社経営理念の具体的な実践として40年近く続いています。
ただ、実際に事業としてヨガに取り組むことになったのは、出会いがあったから。
酵素をつくっているケルプ研究所は、私の父が創業した家業のようなもの。一方、ヨガスクールは上山というヨガの先生が創業しました。
二人に血縁はなく、たまたまある方の紹介で出会ったのです。
土から酵素へ
私が生まれた頃、両親は京都に住んでいて、父は平和運動や微生物を活用した土づくり(土壌改良)などに関わっていました。
父は若い頃、身体が弱く、二十歳まで生きられないと言われたこともあり、徹底した玄米菜食や結核の長期療養も経て、徐々に体調を整えたようです。
そして、私が2歳になる頃、父は恩師の命により、まだ創業期だった小樽の大高酵素化学株式会社さんに転じ、副社長という立場で10年間お世話になります。
その後、数年を経て、1978年、ケルプ研究所の前身の会社を設立。
糖の浸透圧を利用したエキスの抽出、原料由来の微生物に委ねる自然発酵という基本は変わりませんが、独自の製法でF&E酵素を開発します。
私が中学生の頃でした。工場に泊まり込んで、小さなタンクを抱いて体温で温めたこともあったらしい。当時、家で父を見ることはほとんどなかった。
不易流行
ヨガスクールの創業者である上山は、日本ヨガ中興の祖、沖正弘師の静岡県三島の道場で住み込みでヨガを学んだ直弟子。第一次ヨガブームと言われた1970年代に札幌でヨガ講師をはじめました。札幌市が主催していた成人学校、いわば公的なカルチャースクールですね。
成人学校のコース終了後もヨガを続けたいという声が受講生の皆さんからあがりスクールを作ったのが1980年(今のビルとは場所は違いました)。
ブームと言っても、一般にはまだヨガは知られていなくて、ヨガスクールも他にほとんどない状態だったようです。
ヨガスクールが始まって間もなく、ある方の紹介で父が酵素や健康についての講演をすることになった。
当時は酵素も一般には知られていなくて「酵素って何?」という時代。父はヨガの指導者に話をするということで、しっかり準備して、詳しい話をしたようです。
そのことを上山に聞くと、理屈っぽい難しい話で、当初は父のことを受け入れ難かったという。実際、出会ってから二年間、上山と父は直接話をしなかったといいます。
きっかけはたまたまの紹介。そして当初は良い関係性だったわけでもない。でも、父は「食・心・動」は三位一体だと唱え、上山は「人は誰しも健康で美しくありたいと願っている」と考えていた。酵素とヨガ、親和性があったのです。
ご縁もあったのかも知れません。上山が静岡県三島で修行した当時、道場には父が居た大高酵素の製品があったといいますから。
紆余曲折はありながら今につながり、私が両社の代表を務めるに至っています。
健康は、本来、不易なもの。原点を忘れず、時代に合わせて変化、成長、深化しながら、曲がり真っ直ぐですが進みます。
二人の創業者は今も元気で、時々、講演やインストラクターのミーティングでの指導などしてもらっています。
この記事の投稿者
福士宗光
父から継いだ酵素製造と、自身はヨガ素人ながらヨガスクール運営を行っているケルプ研究所2代目経営者。
健康は食生活や適宜の運動を通じて自分自身で築き上げるもの。酵素とヨガでお手伝いすることが使命と考えています。